綿々と続く不条理のただなかで沖縄の地を這いずりまわって捜査した者にしか語れない言葉を記録してほしい

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事件後、凶器などを捜す沖縄県警の捜査員ら=2016年、沖縄県うるま市、上田幸一撮影

 

 

あの事件から五年たつ。

 

おりしもオバマ大統領来日をひかえていた時期、「タイミングが悪い」と「上から圧力」があった、上層部の空気に危機感を覚えた現場の捜査官が・・・。単なる地元のうわさ話だから書かないが、真相はわからない。

 

以下に紹介する、昨日のこの記事の書き方には、どうだろう。

 

正直、もうちょっとつっこんで書いてくれていてもいいのではないかと感じる。米軍が絡む犯罪や事件の捜査現場がどんなものか、とてもじゃないが納得できないことばかりであり、そんな状況で生きている沖縄の現実があるからだ。

 

うだる暑さの中、基地のなかではなく、基地の外の、米軍の悪臭漂うゴミの山を一日中掘り返した、あるいは、ゴミの山を掘り返すしか捜査の糸口がなかった。

 

本土の記者にお願いしたいのは、綿々と続く不条理のなかで、沖縄の地を這いずりまわって捜査した者にしか語れない言葉というものを伝え記録にのこしてほしいということです

 

2021年 朝日新聞『米側から届いたメモ』

 

米側から届いたメモ…逮捕急がねば 沖縄の女性殺害5年

朝日新聞デジタル

2021/4/28

 

沖縄県うるま市の女性が米軍属の男に殺害された事件から28日で5年。県警で捜査を指揮した当時の幹部朝日新聞の取材に応じ、事件の内幕を明かした。また防衛省の元幹部は、現場で対応にあたった経験を自戒を込めて語る。「東京からは見えない現実があった」  

 

女性のスマートフォンの位置情報を頼りに、付近を通った車を捜していた。行方不明から2週間以上がたった5月16日夕。県警の捜査員が、米軍関係者を示す「Yナンバー」の車を持つ男を割り出し、自宅にたどりついた。男は、基地の外で暮らしていた。  

 

今回取材に応じたのは、当時の捜査幹部の男性だ。男性のもとには、現場の捜査員から逐一状況が報告されていた。  

 

男の自宅のテレビではちょうど、行方不明になった女性のニュースが流れていた。「あの件です」。捜査員が告げると、急に表情を引きつらせた。  

 

3日後の朝、男を署に呼ぶと自供を始めた。しかし、男性には懸念があった。部下から、もう一つの報告があがってきていた。男に宛てて米国側からメモが届いた。米軍の管理下に入りたければいつ来てもよい――。そんな報告だったと記憶している。  

 

米軍人・軍属が事件を起こした場合、日米地位協定公務外だとしても、米側に身柄があるときは起訴までは米側が拘束する、と定める。凶悪事件に限り、起訴前の引き渡しの可能性もあるが、米軍の裁量にまかされている。

 

自国民守りたい米軍、拘束したい県警  

「逮捕を急がねば」。基地内に入られてしまえば、捜査手続きに時間がかかる。全容解明の妨げになる可能性があった。  

 

県内では米軍関係者による事件が絶えない。事件が発生し、米軍関係者が逃走しているとなれば、基地のゲート前に捜査車両を走らせることもある。「自国民を守りたい米軍と、容疑者をいちはやく拘束したい県警で、競い合いが始まる」と、男性は明かす。  

 

5年前の事件。県警は自供を始めた数時間後には遺棄した場所の案内をさせ、午後3時10分、男を死体遺棄容疑で緊急逮捕した。  

 

「決められた法律と手続きの中で、捜査をやり遂げる。それが刑事の仕事だ」。日米地位協定は改定の必要があるのかと問う記者に対し、元幹部の男性はそう言う。刑事は犯人を捕まえることでしか、被害者や遺族の無念を晴らすことはできないというのが変わらぬ持論だという。  

 

それでも、と男性はこんなことを口にした。  

 

同じ罪を犯しているのに、なぜ同じ手続きで裁くことができないのか。多くの県民はそれを理不尽だと感じている。

 

男は「軍属か」 地位協定の問題次々  

この事件をきっかけに、日米地位協定への考えを改めた防衛省の元幹部がいる。当時、防衛省の地方機関である沖縄防衛局のトップを務めていた井上一徳衆院議員(58)だ。  

 

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いのうえ・かずのり 1962年京都府生まれ。86年防衛庁(当時)に入り、2014~16年に沖縄防衛局長。大臣官房審議官を経て17年に退職し、同年の衆院選希望の党(当時)から京都5区に立候補し、比例復活で初当選した。現在は無所属。

 

「事件発生の報告は部下から聞いたと思う。言葉が出なかった」。井上氏はそう振り返る。   

 

女性の遺体は雑木林に遺棄され、白骨化した状態で発見された。女性は同居していた交際中の男性に「ウォーキングしてくる」と連絡後、行方不明になっていた。  

 

井上氏は息子が被害女性と同世代で、結婚を控えていた。息子の結婚相手の顔が頭をよぎったという。  

 

沖縄県内では抗議の動きが広がり、現場には胸を痛める市民の姿が絶えなかった。在沖米海兵隊の撤退や日米地位協定の抜本改定などを求める県議会の抗議決議は、全会一致で可決された。  

 

井上氏は、外務省の水上正史・沖縄担当大使とすぐに連絡を取り合い、地元自治体への説明と謝罪に追われた。沖縄に基地があることは理解できるという保守の立場の人からも突然抗議を受け、事件事故への強い憤り、地位協定へのいらだちを聞かされた。  

 

事件直後、焦点となったのは男が米軍の「軍属」に該当するかどうかだった。軍属なら日米地位協定の対象だが、軍属でなければ対象外。にもかかわらず協定上の定義はあいまいで米側の裁量に委ねられていた。  

 

「こんなことも整理されていないのか」。米国政府は当初、男が米軍と直接の雇用関係でないとの理由で、遺族に補償金を支払わない方針も示していた。日米地位協定の問題点が次々と浮かび上がった。  

 

井上氏はいま、恥を忍んで語る。「事件が起きるまで、地位協定について深く考えたことがなかった」  

 

事件以降、米軍関係者による事件事故のニュースに敏感に反応するようになった。地位協定は運用改善ではなく、抜本的に見直す必要があるのではないか。そんな思いを強めたという。

 

埋もれた事件の記憶 膨らんだ疑問  

考えを改めた要因には、沖縄で2年間生活した経験も大きい。当時の職場と自宅は沖縄本島中部の嘉手納町にあった。元々那覇市にあった防衛局は、「基地のある生活を実感してほしい」という地元首長らの働きかけもあり、米軍嘉手納基地のそばに移転していた。実際、朝6時前からとどろく米軍機の音は、想像を超えていた。  

 

住民の声を直接聞きたいと、町内の飲み屋にも出かけた。行きつけのおでん屋で同席した年配男性の話は今も忘れられないという。  

 

結婚間際に米軍関係者に暴行された女性がいた。その女性は誰にも言えないまま、日本人男性と結婚した。生まれた子どもは、暴行した男と同じ顔立ちをしていた――。そうした事件が頻繁にあった、と年配の男性は語っていた。  

 

それ以上、詳しいことはわからなかった。ただ、埋もれた事件について聞くのは初めてのことだった。東京に戻って同僚に伝えても、みな「聞いたことがない」と口をそろえた。東京から見ているものと、沖縄から見えるものの違いを改めて感じた。ただ、政府の方針に従うのが務めとの考えから、官僚時代は、膨らむ疑問は胸の内にとどめたままだった。  

 

2017年、経験を生かして安全保障政策に取り組みたいと国会議員に転身した。いま、同僚らと日米地位協定に関する勉強会を開き、国会では地位協定の改定を訴えている。

 

 「日米安保体制を安定的に運用していくためにも、改定が必要だ」   

 

 ◇  沖縄県うるま市の女性殺害事件 2016年4月28日夜、当時米軍属で元米兵の男が、うるま市でウォーキング中の女性(当時20)を鈍器で殴り、首を絞めてナイフで刺すなどして殺害。遺体を同県恩納(おんな)村の雑木林に遺棄した。男は殺人や強姦致死罪などで無期懲役が確定した。

 

ryukyushimpo.jp

 

2016年 神奈川新聞『私たちは当事者』

今回、そういえば、と思い出したので

五年前の神奈川新聞の記事を復刻して記録しておく。

 

いい記事というものは、五年たっても読んだ記憶が残るものだ。

 

神奈川新聞の記事。

 

【カナロコ・オピニオン】(9)私たちは当事者

http://www.kanaloco.jp/article/175079

神奈川新聞ニュース

2016年5月26日

 

グラスを持つ手が小刻みに震えていた。注がれた泡盛がわずかに波打つ。小雨降る夏の夜、沖縄本島中部の居酒屋のカウンターだった。 

 

「米軍の犯罪だけは許せん」 

 

沖縄県警ベテラン刑事の、1人の沖縄県民としての〝告白〟 その後の沈黙が憤りの深さを語り、沖縄の人々の痛みを代弁していた。本土出身の私は、軽々には言葉を返すことができず、ただ黙ってうなずくことしかできなかった。

 

駆け出し時代を沖縄タイムスの記者として過ごし、沖縄県警担当の3年間は米軍関連の事件事故を追う日々だった。 

 

飲酒運転は日常茶飯事。行きつけの飲食店に火を放つ、タクシー運転手を脅して料金を踏み倒す、酔って夜中に民家に忍び込んでソファで寝込む、ゲーム感覚で駐車中の車を集団で次々と横転させる、相次ぐ性犯罪では人目をはばからずに駐車場で女性を襲った事件もあった。逃走時に川に入ったり、民家の屋根に上ったり、そのまま帰国してしまったりと、本土では考えられない事態が次々と発生した。 

 

米軍関連の事件で特に問題になるのが、日米地位協定の厚い壁だ。地位協定は、公務外の事件で容疑者の米軍人や軍属の身柄を米側が確保した場合、起訴までは米側が拘束すると規定する。運用改善の結果、米側が「好意的配慮」を払うことで起訴前の身柄引き渡しに道が開かれたが、裁量権は米側が握る。 

 

捜査を尽くして逮捕状を取りながらも、容疑者の身柄が引き渡されない。海兵隊少佐の女性暴行未遂事件の会見中、県警刑事部長が腕を組んで空を見上げ、ぐっとこらえていた表情が忘れられない。冒頭のベテラン刑事同様、「米軍犯罪は絶対に許さん」と語る叩き上げの人だった。 

 

沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故では、県警は捜査員の現場立ち入りを拒否された。 「沖縄県民が納得しない」。捜査1課長が在沖縄海兵隊法務部に出向き、テーブルを叩きながら現場検証の実現を迫った。日本の一地方警察の現場指揮官が激しく米軍に抗議する。たぎる怒りはいかばかりだったか。

 

悲劇

沖縄タイムスの報道によると、1972年の本土復帰から2014年までの米軍人・軍属とその家族による刑法犯の検挙件数は5862件。このうち殺人、強盗、放火、強姦の凶悪事件は571件で737人が検挙された。性犯罪であれば、名乗り出ない被害者も少なくないだろう。基地あるがゆえに命と人権が脅かされる。そして悲劇は、繰り返された。元海兵隊員の米軍属の男が、沖縄県うるま市の20歳の女性の遺体を遺棄した容疑で逮捕された。殺害と暴行も認めたという。 

 

想像せずにはいられない。襲われたその瞬間、被害女性はどれほど恐ろしかっただろうか。無事を祈りながらも一縷の望みが断たれた遺族はどんなに無念だろうか。同居していた交際相手は女性を守れなかったと自らを責めてはいないだろうか。 

 

そして、思う。自分であれば決して耐えられない、と。

 

差別

米軍基地の存在は、沖縄の人々が望んだものでは決してない。 

 

太平洋戦争末期、本土防衛の「捨て石」にされ、沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲になった。たとえ生き延びても、収容所に隔離されている間に故郷の土地を米軍に奪われた。1952年の日本の主権回復後も米軍統治は終わることなく、憲法の枠外に置かれて基本的人権は保障されなかった。「銃剣とブルドーザー」と形容される土地の強制接収は続き、「沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある」といわれる状況を強いられた。 

 

本土が経済成長を謳歌する中、産業政策の欠如が強固な経済基盤の確立を阻み、沖縄戦で多くの人材を失ったことで教育も立ち遅れた。72年の本土復帰後も所得や失業率、大学進学率といった多くの指標で本土との格差は埋まらない。この間、米軍犯罪の危険にさらされ続けてきた。 

 

そして今、基地は経済発展の阻害要因であることが基地返還に伴う跡地利用の実績から証明されてもなお、本土では沖縄の基地依存という「神話」が幅を利かせている。海兵隊の抑止力という「誤解」が辺野古新基地建設を強行する錦の御旗になっている。 

 

国土面積のわずか0・6%の沖縄に在日米軍専用施設の約74%が集中する。このような地域が他にあるだろうか。一つの地域にこれほどの差別的な負担を強いるとは、恥ずべきことだ。

 

当事者

海兵隊員の逮捕から6日後、日米首脳会談が開かれた。事件について安倍晋三首相は「断固抗議」し、オバマ大統領は遺憾の意を表明した。 

 

だが、どれほど言葉を重ねようとも空虚な響きが漂う。沖縄が訴える地位協定の抜本的見直しについて、両首脳は具体的な言及を避け、否定的な姿勢を示した。翁長雄志知事が求めた大統領との面会は実現の気配すらない。為政者からは沖縄の声を正面から受け止めようという熱が感じられず、結論ありきのセレモニーのように映った。事件後、「再発防止」の掛け声が飛び交うさまに、早く幕引きを図りたい政府の思惑が透け、既視感ばかりが募る。 

 

沖縄の人々は、特別なことを求めているわけではない。 

 

私たちが愛する人の安全を望むように、米兵や米軍属による犯罪におびえることなく、平穏のうちに安心して暮らしたいと願っている。 

 

私たちが子育て支援や高齢者介護の充実を望むように、行政や議会が基地問題に多くのエネルギーを割かれることなく、教育や福祉など日々の生活に密着した施策に集中できるよう求めている。 

 

何度でも繰り返す。沖縄の人々は、本土に暮らす私たちがごく当たり前に享受している日常を求めているにすぎない。「小指(沖縄)の痛みを全身(日本)の痛みと感じてほしい」 

 

沖縄の人々が本土に向けてきたメッセージに、私たちはどれほど向き合ってきただろうか。痛みを共感しない無神経ぶりは今、日本中をむしばみ、広く差別を放置し、格差を是認する社会の元凶になっているように思えてならない。 

 

安全保障は日本全体で考えるべき問題だ。沖縄に基地負担を押し付けてきた私たちは被害女性の死に対し、責任の一端があると言わざるを得ない。 

 

三者では決してない。

私たちは、沖縄が抱える問題の当事者である。

(経済部・田中大樹)

  

 

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